マルグリット デュラス。 マルグリット・デュラス《幻想の詩学》 / 蘇芳 のり子【著】

『愛人(ラマン)』 ニンフェットの告白 その1

わたしはバスを降り、船の手すりに寄りかかって、川を眺める。 トゥイ・レー、T. 1914年、フランス領インドシナ(現ベトナム)のサイゴンに生まれる。 しかし、ここで暗示される海の要素は、恐ろしい。 彼女は、彼 に 〈 とてつもない愛 情 〉 を抱く。 娘は、まだ。 《 この結婚を 、 この夫を 、 この子供達 を 》。 バクスター、ヴェラ・バクスター Baxter, Vera Baxter (1977年)• つまり、 作家の意図が現れるのです。

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映画上映 『マルグリット・デュラスのアガタ』

イメージは「 映像的な物語」だと言ってもいいでしょう。 一 方、それ は 〈 原 則 〉 である、つまり、すべての根本 的な原因の一種であり、それは説明されず、人間にとって謎のままで永遠に残されるものなのだ。 ここにはデュラスの「 記憶への態度 」が表れています。 デュラスのいう意味を欠いた言葉とは何なのでしょう。 ヴェトナム南部の風景やかつてのサイゴンの郷愁にみちたたたずまいを背景に、12歳年が離れた中国人青年と白人の少女の道ならぬ恋を描いた映画は人気を呼んだ。 わたしは理解する、ドーと上の兄がたえずこの狂気に接していたということを。

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デュラスの〝文学に満ちた〟人生のエクリチュール:『愛人 ラマン』

解決の糸口がないまま終わるこの作品の、血染めの犯行現場を、発表者は非ファルス性、ファンタズム、母娘関係から洞察し、またデュラスにおける女性の狂気が、沈黙ということばと声のない状態で繰り広げられる点を強調する。 1981年、「アウトサイド」(原題 Outside)出版• 例えば、彼女はこう述べる。 そんななか、デュラス自身の言い方を参照しようとすれば、彼女は頻繁に「 エクリチュール」と言っていることに気づくでしょう。 そして、彼女が中国人に近づくままにさせたとき、彼女には、兄弟たちや母との恐ろしい生活から学んだことのすべてによって、その愛情関係を引き受ける準備ができていた。 《 まさにこの旅の途中で、あの映像ははなれて浮かびあがったのであろう、あの映像が全体から取り出されたのであろ う 》 ( … … ) 《写真を一枚撮るということがありえたかもしれな い 》 ( … … ) 《 しかし、それは写真には撮られなかった。 。 彼女のポーロに対 する愛着は、不条理に近く、透視力や、身体の不思議や、彼女が完全に信じていたように見える不死の不思議にたいする洞察力、ともいえる ものを彼女に与えるものだ。

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エレーヌ・グルナックの思い出 Souvenirs d'Hélène GRNAC: 「小さい兄ちゃんの死」 (マルグリット・デュラス『愛人(ラマン)』より)

デュラスは真の記憶の本質は出来事を記憶の深部へと忘却することにあると考え、その対極の位置に身体という表面を置いた。 仮に、池澤夏樹が挙げる事実や真実を〝歴史や物語〟などの「 物語的なもの」と読み替えれば、 文学は歴史でもなく物語にさえなりえないものを表現するものなのだと考えられます。 しかし、これに続く数頁を通して、彼女は、長い間記憶の深淵に埋められていた、しかし、彼女の大きな苦しみを、予告なく恐ろしい力で蘇らせて、私たちに共有させようとする。 何も彼の透明さの輝きを失わせない、苦しみさえも。 子供たち Les Enfants (1984年) 原作・脚本 [ ]• 1982年、アルコール中毒で入院。 『ザ・ダンサー』(16)で、セザール賞の助演女優賞にノミネートされた。 1991年、「北の愛人」(原題 L'Amant de la Chine du Nord)を発表。

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マルグリット・デュラス特集

エクリチュールは「書くということ」なのでした。 入荷までにおよそ1~3週間程度かかります。 信者であろうとなかろうと、彼女の兄に対する無条件の情熱は、彼女を神秘主義にめざめさせ、兄のためにキリストの受難を引き受けるかのように苦しんだ。 1969年~1974年岐阜県立高校勤務。 娘は、彼女の母親がすべてを疑うようになったことを知ってい たように見え る。 それは、人間を二つの種類に分けているようだ。

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映画『あなたはまだ帰ってこない』オフィシャルサイト

エルメスやイヴ・サンローランの広告塔として知られ有名になる。 何であれ知識を身につけることがどうしてもできなかっ た 》 ( … … ) 《 それは、ものごとを理解せず、そして怖がる、というようなひとだっ た 》。 著書に、『狂気の愛、狂女への愛、狂気のなかの愛』(水声社、2016年)、『露出せよ、と現代文明は言う』(河出書房新社、2013年)などがある。 デュラスは人生を描くために記憶ではなく身体を恃んだ 既成の一般的な意味を書いている自分には関係がないのだと言うとき、そこでデュラスは、〝 一般的な意味〟に対して〝 特異的な非意味〟のほうに価値を置きます。 神奈川• アーモンド形をした目、黒く長い髪、利発そうな少女が写っている。 彼は奇跡を起こさなかった。 彼女にとって、兄は聖母マリアの息子と同様に純粋であったのだから。

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